■宮西豊オフィシャルサイト
・1950年より内田富二氏に師事。
1957年北海道放送局に入社、アコーディオン奏者として世に出る、その後編曲・指揮を担当する。
・1965年に作曲活動に専念。
・1967年に作曲家としてデビュー、代表作には、ヒット曲に「函館ブルース」がある。
・1991年にユジノサハリンスク市に移住。
・2007年2月にユジノサハリンスク市クラッシックカメレオンオーケストラの指揮に立ち、自作の曲を発表。
・2008年にサハリンと北海道の「こころ開いて」と「永遠の友よ」を発表し、現在に至る。
・2008年9月13日に、ユジノサハリンスク市名誉市民受賞、外国人としては二人目の受賞になる。札幌刑務所篤志面接委員として、50年間音楽指導にあたり、現在に至る。
- 「こころ開いて」
- 米沢先生から頂いた詞を読んだとき思わず胸を打たれたこの曲は、サハリンで暮らすようになってから感じる、日本への想いを込めて作った曲です。
- ロシアの人達の、家族や仲間達との絆の強さを目の当たりにし、最近日本から届く親子や友人間での殺人やいじめ、自殺などの暗いニュースに接するにつけ、暗い気持ちになってしまいます。
- 「なぜ日本はそんなふうになってしまったのか。」「もっと心を開いて、お互いの絆を強くもてたら・・・・・」そんな気持ちを込めて、じっくり聞いていただける曲に仕上げました。
- 「永遠の友よ」
- 1991年ユジノサハリンスク市に移住し、ホテルのレストラン勤めをしていたころ、レストランで歌っていた女の子がいて、日本語を教えたり、歌のレッスンをしてあげていました。
- たまたま「こころ開いて」のレコーディング打ち合わせのため訪れたボニージャックスさんの事務所で、そこにもロシアの女性がいて、チタ市の音楽学院を卒業しているとのこと。
- 「間違いない!」と直感し、早速会わせてもらったところ、やはりホテルのレストランで歌っていたエカテリーナでした。
この曲は、サハリンとの経済友好10周年の年、運命の出会いをした彼女のために書いた曲です。
- 日本とロシアの絆が、ほんの小さなきっかけから深まっていくことを、心から願いながら。